片麻痺による片麻痺のためのブログ

【自己紹介】

私は現在35歳。既婚。男性。左の片麻痺(上肢全廃、下肢振り出しのみ可)。高次脳機能障害あり。

 

27歳で脳出血となり、左の方麻痺になった男性です。2024/11/10で発症から、約8年になりますが、状況としては、左の上肢全廃の下肢は短下装具はコロバンダーに変えたため使っていせんが、日常生活は杖歩行でほぼ自立しています。

 

鉄支柱の重い短下肢装具を利用されてる方がいらっしゃれば、コロバンダーに移行することを強く勧めます。人間の自然な動きをサポートしてくれるので、無駄な力みや、張り、硬直が起きないばかりか、むしろ今まで不自然だった箇所が正常に動くことで、解決される可能性さえあります。

コロバンダーが気になる方はコメントなどお残しください。開発者の池田さんに繋ぎます。

麻痺が治るわけではありませんが、控えめに言って使って良かったと心から思います。

迷っている方、一度検討してみてはいかがでしょうか?少なからず、僕はあらゆることに対して可能性がありそうならやってきましたが、コロバンダーほど、結果が出たものはありません。注意点としては、どんな片麻痺患者にも効果があるとは言い切れないので、一度お試しいただくことを強くおすすめします。合わなければ合わないでまた別の方法をさがせば良いからほで。

 

と、コロバンダーの紹介のようになってしまいましたが、僕が脳出血した原因は高血圧です。

大学時代に、アメフトをしていた関係で身長は180cm近くあるのですが、肥満体型かつ体重も3桁超えと非常に身体に悪い健康状態が原因だと、今は思います。

 

そんな中、仕事も大好きで、残業しての仕事が普通。常に寝不足の状態でした。

寝不足と不健康の行き着いた先が、片麻痺です。

当時の自分には本気で説教してあげたいです。

 

しかし、なっちゃったもんはしょーがないです。

左半身が使えなぁこの状況で対応していくしかありません。

幸いにも、発症する直前に結婚もさせていただいており、医学の力を使って子供も2人います。

妻には感謝しかないです。

 

入浴も自立しているので、本当に日常生活はそんなに迷惑をかけずに家族みんなで暮らせています。

 

「動け」と命令するのをやめたら、2センチの段差が越えられた。

アスファルトとコンクリートが交わる、わずか2センチの境界線。
いつもの散歩コースにあるこの段差をまたぐ瞬間、私の左足のつま先は、まるで地面に吸い寄せられるように下を向いてしまう。
「よいしょ」と右足を踏み出し、次に左足を前に出そうとすると、足首が内側に向かってギューッとねじれて、靴の先がアスファルトの角にガツンと当たる。
あ、危ない、と右手で近くのガードレールを掴む。
……いや、右手の人差し指だけでスマホの画面を叩きながらこの文章を書いている今も、あの瞬間の、足の裏が地面を掴み損ねる感覚が蘇って指が少し強張る。

アスファルトの2センチの境界線

左足が引っかかるたびに、以前は「もっとつま先を上げなきゃ」と、足首のあたりに意識を集中させていた。
けれど、力を入れようとすればするほど、足首は硬く内側に曲がり、まるで頑固な結び目のようになってしまう。
麻痺している左足は、言うことを聞いてくれない。
そのとき、膝の上に乗せていた左手にふと触れてみた。
指先は全く動かないけれど、右手で包み込むと、じわっとした体温が手のひらに伝わってくる。
冷たくなっているわけではなく、ちゃんと血が通っていて、私の体の一部としてそこに静かに存在している。
この温かい左手や左足に向かって、「動け」と力任せに命令するのを、一度やめてみることにした。

お尻の筋肉と装具のすき間

理学療法士の先生に言われたわけではないけれど、自分で歩きながら実験を繰り返すうちに、あることに気がついた。
つま先を上げようと足首にばかり意識を向けると、ふくらはぎ全体がガチガチに緊張して、余計に足首が内側にねじれる。
そこで、足首のコントロールはプラスチックの装具にすっかり任せてしまうことにした。
代わりに、一歩を踏み出すときに「左側のお尻の筋肉」を意識して、足を後ろにスッと送り出すようにしてみた。
お尻を後ろに残すようにして、骨盤全体から前に送り出すイメージだ。
不思議なことに、足首の力を抜いてお尻の動きに集中すると、つま先が地面に引っかかる回数が明らかに減った。
力みを手放して、装具という道具を信頼し、身体の別の場所を使って動きを補う。
これが、今の私の歩き方のコツになっている。

ネットで見つけたAGAINの厚手ソックス

装具をつけて歩くとき、どうしても靴の中で足がズレたり、装具のプラスチックが皮膚に当たって赤くなったりすることがあった。
何か良いものはないかと探していて、AGAINというオンラインショップ( https://crazyfootaka.thebase.in/ )で見つけたソックスを試してみた。
実際に履いてみると、生地がかなりしっかりしていて、装具と皮膚の間の摩擦をやわらげてくれるような厚みがある。
装具のベルトをきつく締めても、足の甲が痛くなりにくい。
……あ、今の表現だと少し大げさかもしれない、要するに、いつもの靴下より少しだけ歩くときのゴワゴワ感が減った、というくらいの変化だ。
それでも、左足の裏全体で地面を踏みしめる感覚が、以前より少しだけ分かりやすくなったように感じる。
こうして道具の力を借りながら、動かない左半身をなだめるようにして、今日も2センチの境界線をまたいでいる。

【定型署名】 この記事を最後まで読んでいただきありがとうございます。
私が運営するセレクトショップ「AGAIN」では、店主の私自身が片麻痺の生活の中で「本当に救われた」と感じた道具だけを厳選しています。

▼片麻痺Takaの片手ショップ「AGAIN」
https://shorturl.at/TApnx
「できない」を「できる」に変える相棒たちが、あなたの毎日を少しでも楽に、豊かにするきっかけになれば嬉しいです。}

「足首を上げる」を諦めたら、一歩が出た。片麻痺の私と、愛おしい相棒の歩き方

朝、玄関の上がり框に腰を下ろして、左足に靴下を履かせることから私の1日が始まる。
左手は膝の上に置いている。
指先は握り込んだまま動かないけれど、右手で触れると、じんわりと温かい体温が伝わってくる。
冷え切っているわけではなく、ちゃんと血が巡っている私自身の一部だと、この温もりを感じるたびにホッとする。
右手だけで靴下をたぐり寄せ、つま先からゆっくりと通していく。

玄関の上がり框とグレーの靴下

……あ、今のなし。右手だけで靴下を引き上げるから、どうしても踵が外側にずれて変な位置で固まってしまう。
この「踵のずれ」が、その後の装具の履き心地をずっと邪魔し続ける。
そこで、AGAINというところから取り寄せてみた、装具用のグレーの靴下を履いてみた。
生地が厚手で、装具のプラスチックの硬いパーツが肌に直接当たっても、皮膚が赤く擦れることがなくなった。
締め付けが強すぎないのに、ずり落ちてこない質感が、私の左足にちょうど馴染んでいる。
装具のベルトを右手で引き締め、カチッと固定すると、ようやく立ち上がる準備が整う。

アスファルトの継ぎ目の5センチ

外に出ると、歩道と車道を分けるあの5センチのコンクリートの境界線が、目の前に立ちはだかる。
以前の私は、つま先が地面に引っかかるのを恐れて、とにかく「左足首を上に持ち上げよう」と必死になっていた。
実のところ、意識を足首に向ければ向けるほど、ふくらはぎがガチガチに緊張して、つま先が内側にギュッとねじれてしまう。
これが内反尖足というやつで、力めば力むほど足首が言うことを聞かなくなる。
お尻の筋肉で歩く、なんて言うと簡単そうだけど、実際は最初の数歩で頭が混乱する。
っていうのは綺麗事ですね、本当は今でも段差の手前で「よし」と息を吐いて立ち止まる。
最近は、足首を上げるのを諦めて、装具のプラスチックの支柱に足首の角度を完全に預けることにした。
その代わり、お尻の大きな筋肉を使って、左足を後ろにグッと押し出すようにして、反動で足を前に振り出してみた。
すると、不思議と足首の突っ張りがふっと抜けて、つま先が境界線の角に擦れずに、すんなりとまたぐことができた。
左手はコートのポケットの中で、歩く振動に合わせて私の太ももを優しくトントンと叩いている。
思い通りには動かなくても、歩くリズムを一緒に刻んでくれる、愛おしい相棒のように感じている。

動かない左手に温もりを。片手でパーカーを羽織り、今日も私は世界へ踏み出す。

朝、洗面台に向かうと、まずは右手を伸ばして蛇口をひねる。
蛇口から流れ出るぬるま湯を、プラスチックの洗面器にたっぷりと溜める。
そこへ、動かない左手を右手でそっと持ち上げて、お湯の中に沈めていく。

洗面器のぬるま湯

私の左手は、自分の意思では指一本持ち上がらない。
けれど、お湯に浸した瞬間に「じんわりと温かい」という確かな感覚が、手のひらから肘を伝って頭へと昇ってくる。
動かなくても、この手には体温があり、血が巡っているのだと実感する瞬間だ。
右手を使って、お湯の中で左手の指を一本ずつ優しく伸ばし、手のひらを広げていく。
かつては、動かない左手をただの荷物のように扱って、力任せに引っ張って着替えを済ませていた。
……いや、今のは少し格好をつけすぎた、本当はただ邪魔者扱いして無視していただけだ。
しかし、ある時から、動作を始める前にこの「温める時間」を作るようにした。
お湯の中で指をほぐしながら、目でじっとその様子を見つめる。

鏡の中の左の五本指

洗面台の鏡に映る自分と、お湯に浸かった左手を交互に見つめる。
右手で左手の甲をゆっくりとさすりながら、「ここに私の左手がある」と頭の中で何度も呟いてみる。
目からの情報と、右手で触っている感覚、そして左手が感じている温かさを、頭の中で一つに結びつけていく作業だ。
不思議なことに、こうして「手の存在」を頭に覚え込ませてから動くと、その後の動作で体が左右に傾きにくくなる。
左手を置き去りにせず、体の一部として意識のマップに書き換えるだけで、歩くときの足の踏み出し方まで変わるのだと分かった。
鏡の中の左手は、相変わらずだらりと垂れ下がっている。
それでも、さっきまで感じていた「自分の体から切り離されたような感覚」が、少しだけ和らいでいるのを感じる。

顎で押さえるジッパーの引き手

洗面台から部屋に戻り、次は着替えの実験に入る。
今日着てみるのは、AGAIN( https://crazyfootaka.thebase.in/ )という場所から取り寄せてみた、フロントファスナーのグレーのパーカーだ。
片手での着替えは、ジッパーの噛み合わせをはめる最初の数秒に一番汗がにじむ。
パーカーの裾を左の太ももの上に乗せ、動かない左手の手首を重し代わりにして裾を押さえる。
右手でジッパーの金具を差し込み、顎を使ってフードの根元をぐっと噛んで固定する。
……あ、今のやり方は少し不格好だが、誰も見ていない部屋の中ならこれでいい。
右手で引き手を上へ引き上げると、金属の歯がきれいに噛み合って、するすると上がっていった。
生地が柔らかく、装具をつけて歩くときも肩周りの突っ張りが少ない質感だ。
今日もこれから、装具のベルトをしっかりと締め、外の境界線をまたぎに行く。
動かない左手をポケットにそっと滑り込ませ、その温もりを感じながら、玄関の扉に手をかけている。

1ミリも動かない左手と、今日をはじめる。

朝、洗面台の前に立つ。
装具をつけた左足でしっかり床を支えながら、右手を伸ばして蛇口をひねる。
洗面器にぬるま湯をためて、そこに動かない左手をそっと沈めてみる。
左手は自分では1ミリも持ち上がらないけれど、お湯の温度はちゃんと皮膚に伝わってくる。
「あ、温かいな」と思う。
お湯の中で、右手を使って左手の指を一本ずつ優しく伸ばしていく。

洗面器のぬるま湯

お湯の中で、右手で左手の甲をゆっくりとさする。
ただお湯に浸けておくよりも、右手で触れながら、その様子を目でじっと見つめる。
こうして「今、ここに私の左手がある」と頭の中に絵を描くように意識すると、強張っていた肩の力がふっと抜ける。
……あ、今の表現は少し格好良すぎたかもしれない。
実際は、お湯が袖口に染みて「冷たっ」となりながら、慌てて右手で拭いているのがいつもの姿だ。
それでも、目で見て、右手で触って、左手の温かさを感じるという一連の作業は、私の朝の儀式になっている。
脳出血をやってから、左手は私の命令を無視し続けている。
けれど、こうしてぬるま湯に浸すと、確かに血が通っていて、私と同じ体温を持っていることがよく分かる。
突き放すのではなく、動かないこの手を自分の一部としてそこに置いておく感覚だ。

AGAINのグレーの靴下

手洗いが終わると、次は靴下を履く時間がやってくる。
最近、実験的に使ってみているのが、AGAIN( https://crazyfootaka.thebase.in/ )というところのグレーの靴下だ。
片手だけで靴下を履くのは、踵の膨らみを通り抜けさせる瞬間に、いつも生地が引っかかって指先が引きちぎれそうになる。
この靴下を右手の親指と人差し指で手繰り寄せ、まずは動く方の右足から通してみる。
生地が柔らかく伸びて、片手でも踵のカーブをすんなりと超えてくれた。
次に、装具をつける左足にも、同じように右手だけで手繰り寄せた靴下をかぶせていく。
口ゴムの締め付けが強すぎないので、片手の力だけでも、爪先に引っかけるところから足首まで一気に引き上げることができた。
履き終えたあとも、足の甲が締め付けられるような窮屈さがなく、そのまま装具の靴を履いても足元がゴロゴロしない。
ただそこにある道具として、私の毎日の動作に静かに馴染んでいると感じる。

玄関の段差

靴下を履き終え、金属の支柱がついた装具を左足に固定する。
玄関に向かい、数センチの段差を降りるとき、いつも少しだけ足元を凝視する。
動かない左足を下ろすとき、ただ闇雲に足を前に出そうとすると、つま先が引っかかってヒヤリとすることがある。
ここで、さっき洗面器でやった「触って、見る」感覚を思い出す。
左足の裏が今、どのあたりにあって、どんな角度で床に触れようとしているのかを頭の中で思い描く。
目で左足のステップを見つめながら、ゆっくりと体重を移していくと、足首の無駄な力みが抜けていくのが分かる。
今日も、装具がカチャリと音を立てて三和土(たたき)に着地した。
思い通りに動かなくても、感覚を頼りに一つひとつの動作を繋ぎ合わせていく。
そんな泥臭い工夫を繰り返しながら、私は今日も玄関の扉を開けて外へ踏み出している。

動かない左手と1足の靴。自分の身体と折り合いをつける、私の「朝の対話」

朝、洗面台の鏡の前に立つ。 蛇口から流れるぬるま湯に、動かない左手をそっと近づけてみる。 指先が水に触れた瞬間、じんわりとした温かさが手の甲に向かって広がっていく。
私の左手は、自分の意思では1ミリも指を曲げることはできない。 けれど、こうして温度だけはちゃんと脳に教えてくれる。 冷たいわけでも、他人の皮膚なわけでもない、たしかに体温があり、血が通っている自分自身の一部だと感じる。
だけど、顔を洗おうと右手に意識を集中した途端、左手は自分の居場所を見失ったようにだらんと垂れ下がってしまう。 洗面台の陶器の縁にコツンとぶつかって、初めてその位置に気づく。 ぶつかった痛みは感じるのに、ぶつかる直前まで手がどこにあるのかが頭の中で霧に包まれたように分からない。
右手だけでせわしなく顔をこすりながら、濡れた左袖の冷たさにため息をつく。 ……あ、今の、ため息というよりは、ただの鼻息だったかもしれない。 右手だけで顔を洗うのは、想像以上に慌ただしい。

洗面器のぬるま湯

この、自分の体がどこにあるか分からなくなる現象をどうにかしたくて、最近は洗顔の前に一つの儀式をすることにしている。 まず、右手で左手のひらを包み込むようにして、じっくりとさする。 「ここに指があるよ」「これが手首だよ」と、手のひら全体の温もりを右手の皮膚を通して左手に染み込ませていく。
それから、鏡に映る自分の左手をじっと見つめる。 目で見て、右手で触って、ダブルのルートで「今、左手はここにある」と頭の中のマップを書き換えていく。 不思議なことに、この「さすって、見つめる」を10秒ほどやるだけで、左手が急に自分の体の一部としてカチッと繋がる感覚がある。
頭の中の霧が晴れて、左手の輪郭がはっきりと浮き上がってくる。 この状態で左手を洗面台の平らな場所にそっと置き、右手でそれを支えにするようにして顔を洗う。 すると、左袖をびしょ濡れにすることなく、両手の存在を感じながらさっぱりと朝の支度を終えることができる。

装具の硬いプラスチック

洗面所を出て、玄関に向かう。 私は左足に装具をつけて歩いているので、靴を履く作業は毎日の小さな実験の場になっている。 装具の硬いプラスチックを足を包むように装着し、マジックテープを右手だけで留める。 問題は、その上から履く靴の存在だ。
装具の厚みのせいで、普通の靴だと左右のサイズが全く合わなくなる。 さらに、片手で靴べらを使わずに履くのは、毎朝のちょっとした格闘だった。 そこで、ネットで見つけた「AGAIN」というショップの靴を試してみることにした。 (https://crazyfootaka.thebase.in/
届いた靴を玄関に置き、右手だけで履き口を大きく広げてみる。 甲の部分が驚くほどガバッと開き、装具をつけた左足が引っかかることなく、すんなりと靴の奥へ滑り込んでいった。 かかとの部分が潰れずにしっかり自立しているので、右手でベロを引っ張るだけでピタッと足に吸い付く感覚がある。
……右手の人差し指だけでこの文章を叩いているけれど、あの靴の「すん」と入る感覚を思い出すだけで、指先が少し軽くなる気がする。 これまでは靴を履くだけで息が切れて、出かける前に体力の半分を使い果たしている感覚だった。 道具の工夫というのは、ただ楽をするためではなく、自分の体と折り合いをつけるための静かな対話のように思える。 玄関の鏡に映る、左右のバランスが整った自分の足元を見て、今日も一歩を踏み出す準備ができたと感じている。

「つま先を上げる」をあきらめたら、麻痺のある足がすっと前に進み出した。

夕方のスーパーからの帰り道、歩道と車道の境目にある、あのわずか1センチほどのアスファルトの段差が目の前に現れる。
普段なら気にも留めないその小さな盛り上がりに、私の左足のつま先が、カツッと音を立てて引っかかった。
一瞬、身体が前に傾き、右手に持っていた買い物袋のビニールがガサリと音を立てる。

あぶない、と心の中でつぶやきながら、私は立ち止まって息を吐いた。
脇にだらりと下がった左手は、自分の意思では指一本動かすことができない。
けれど、右手でそっとその手のひらを包んでみると、夕暮れの風の中でじんわりと温かく、確かな体温が伝わってくる。
動かなくても、この手は間違いなく私の身体の一部として、今日も一緒に生きている。

アスファルトの1センチの段差


つま先が引っかかるたび、私は以前、どうにかして左足首を上に曲げようと躍起になっていた。
「上がれ、上がれ」と頭の中で念じれば念じるほど、なぜか左の足首は内側にぎゅっとねじれ、硬くなってしまう。
……あ、今の書き方は少し格好つけすぎたかもしれない。
実際は、ただ必死に力を入れすぎて、足全体が棒のようになって固まっていただけだ。

この内側にねじれて突っ張る動きは、自分の意思とは関係なく、歩こうと力むことで引き起こされるものだと知った。
つま先を上げようとすればするほど、ブレーキとアクセルを同時に踏み込むように、足首がロックされてしまう。
それなら、足首を自力で持ち上げることは一度あきらめてみよう、と考えを変えた。

プラスチックの装具とお尻の奥の筋肉


まずは、いつも履いているプラスチック製の装具に、足首の角度の維持をすべて預けることにした。
「つま先を上げる」という仕事は、装具という道具に完全に任せて、自分はそこに関与しない。
その代わり、歩くときは「お尻の奥の筋肉を使って、足を後ろにスライドさせて送り出す」という意識だけに集中してみた。

右足を踏み出したら、左足はお尻の筋肉を意識して、後ろへすっと残すように送り出す。
すると、不思議なことに、力みの抜けた左足が振り子の原理のように、自然と前にスッと出てくる。
足首の力を抜くことで、引っかかりが劇的に減る感覚を、今でも歩くたびに確かめている。
右手の人差し指だけでスマートフォンを叩きながら、この足裏のじわっとした接地感を思い出している。

AGAINのスニーカー


装具をつけた左足で歩くためには、靴選びも一つの実験のようになる。
私はネットで見つけた「AGAIN」というショップ( https://crazyfootaka.thebase.in/ )の靴を、日々の生活の中で試している。
装具の分厚いプラスチックや金属のパーツがあっても、生地が突っ張ることなく、すんなりと足が収まる感覚がある。

履き口が大きく開くため、右手だけで装具ごと足を押し込んでも、踵が潰れずに収まってくれる。
靴底が地面をしっかりと捉えてくれるため、先ほどのアスファルトの段差をまたぐときも、足元がぐらつきにくい。
ただ淡々と、この靴を履いて一歩一歩を進める実験を、私は毎日繰り返している。

【定型署名】 この記事を最後まで読んでいただきありがとうございます。
私が運営するセレクトショップ「AGAIN」では、店主の私自身が片麻痺の生活の中で「本当に救われた」と感じた道具だけを厳選しています。

▼片麻痺Takaの片手ショップ「AGAIN」
https://shorturl.at/TApnx
「できない」を「できる」に変える相棒たちが、あなたの毎日を少しでも楽に、豊かにするきっかけになれば嬉しいです。}

揺れる左手と、私の歩き方

朝、目が覚めると、まず洗面台に向かう。
蛇口から出るぬるま湯を、お気に入りの白い洗面器に溜める。
そこに、動かない左手を右手でそっと持ち上げて、水面へと沈めていく。
じわっとした温かさが、手のひらから手首へと伝わってくる。
私の左手は、自分の意思では指一本動かすことができない。
けれど、お湯の温かさや、冬の朝の水道水の冷たさは、驚くほどはっきりと教えてくれる。
動かなくても、この手には確かに私と同じ体温があり、血が巡っている。
湯の中で、右手を使って左手の指を一本ずつ、包み込むようにさすってみる。
「ここに私の左手があるよ」と、頭の中に語りかけるように、ゆっくりと圧をかけていく。
これを省いていきなり動こうとすると、脳が左手の存在を忘れたかのように、身体のバランスがちぐはぐになってしまう。
手の輪郭をじっくりと右手でなぞり、皮膚の感覚を脳に送り届けてから、一日の動作を始めることにしている。
……あ、今、右手の人差し指だけでこの文章を叩きながら、少しキーボードを押し間違えてしまった。

洗面器のぬるま湯


温まった左手を太ももの上にそっと置き、次は靴下を履く作業に入る。
使うのは、AGAINというところの、履き口が広くて少し厚みのある灰色のソックスだ。
片手だけで靴下を履くのは、最初の頃は爪先に引っかかってばかりで、それだけで息が切れていた。
今は、右手だけでソックスの履き口を蛇腹のようにクシュクシュと縮め、ドーナツ状にする。
それを足の指先に引っ掛けたら、一気に踵まで引き上げる。
生地に適度な張りとコシがあるので、片手で引っ張ってもクシャッと潰れず、踵のカーブをすんなり越えてくれる。
靴下の繊維が足の甲を包む感触を確かめながら、ゆっくりと引き上げていく。
「よし、入った」と心の中で呟く瞬間が、毎朝の小さな区切りになっている。

灰色のソックスのゴム口


靴下を履き終えたら、次は金属製の支柱がついた装具を左足に固定する。
マジックテープを右手だけで一本ずつ、ギギッと音がするまで引っ張って留めていく。
立ち上がると、装具が足首をしっかりと支えてくれるおかげで、左足にじわっと体重を預けることができる。
玄関に向かい、三和土と廊下の間にある、約十センチメートルのコンクリートの段差の前に立つ。
ここをまたぐ時は、いつも少しだけ緊張する。
まず右足にしっかりと体重を乗せて、左足の装具の底が床に引っかからないよう、お尻の筋肉を使って少し外側から送り出すようにして下ろす。
コンクリートの冷たい感触が、靴底を通してかすかに伝わってくる。
っていうのは少し綺麗事かもしれない、実際はただ「無事に着地できた」という安堵感だけがある。
動かない左手は、歩く振動に合わせて、お腹の前で静かに揺れている。
ポケットに手を入れて固定することもあるけれど、今はそのまま、自然に揺れるに任せている。
これもまた、私の身体の歩き方なのだと、そのまま受け入れている。

玄関のコンクリートの段差